金曜日よりの使者

藤岡ひろゆき、という人がいた。
BBBBができた年、1993年の大晦日。
大阪は心斎橋の戎橋(グリコの看板にところ)の側にあるビルの、とある外人バーでBBBBはカウントダウンライブをやっていた。
戎橋ではよくストリートライブをやっていて、毎回すごい盛り上がってた。
なのですぐ警察がやって来て演奏を止められるんだけど、他所とはちがう熱気のあるこの場所が好きでよくやっていた。
そのストリートライブを見た外人バーの店長に、カウントダウンライブをうちでやらないかと言われて二つ返事で引き受けた。
外人バーは盛り上がるし、なにより演奏で仕事がもらえるならどこでも良かった。
夏(たぶん8月くらい)に立ち上げたBBBBはまだまだ曲数も少なく、ストリートライブ以外のステージの経験も学園祭ぐらいしかなかったと思う。
その大晦日の外人バーをふらっと訪れたのが藤岡さんである。
藤岡さん(以後フーサン)はその日、戎橋の袂にあるキリンプラザホールでイベントをやっている音楽事務所の「株式会社モダンビート」の社長だった。
身長が低くて全体が丸っこく、どこか子どもっぽいので、最初はフーサンと一緒にいた部下の人を社長だろうと勘違いしていた。
そこでBBBBのライブを見たフーサンは、興味をもったらしく、以後いろいろとライブやメシに誘ってくれたり、いろんなミュージシャンを紹介してくれたり、ストリートライブにいろんな業界人を連れてきて営業の仕事をくれたり、音楽業界の右も左も分からないおれらをいろいろと連れ回してくれた。
そうこうしてるうちにBBBBは「モダンビート」の所属になった。
契約書とかを交わしていたのか、当時はそんなこと全く気にしてなかったので覚えてないが、93年の大晦日に出会って以降はしょっちゅう会うようになっていた。
バブルは弾けていたとはいえ、まだまだバブルな人達はいっぱいいて、フーサンの周囲の友達もまたバブルな人達で、ドンペリや高級ワインをポンポン空けていた。
家賃13000円の激安アパート暮らしの貧乏学生だったおれは、自分の生活感とのギャップに居心地の悪さ感じつつも、そんな酒宴の中にほいほいと紛れ込み、シャンパンを啜りながら、いかにも得意げに冗談を飛ばしているフーサンを、不思議な親近感と少しの嫌悪感がない交ぜになったような気持ちで見ていた。
フーサンはパーティが好きだった。
バカ騒ぎを愛した。
節度ある態度で大人ぶるのも好きだったが、羽目を外してヤリ過ぎて相手を怒らせることもしばしばだった。
そんな人間臭いフーサンのことを段々と好きになっていった。
フーサンは関西の大手のイベント会社を辞めて、仲間と「モダンビート」を立ち上げて精力的に動いていた。
フーサンと知り合ってからBBBBはいろんな仕事が舞い込んだ。
それとともにライブでの動員数もすごい勢いで増し始めた。
当時、神戸で育って、バンドをやっている人間にとってライブハウス『チキンジョージ』はまさに甲子園だった。
高校生の頃にギターを弾いてバンドをやったり、ストリートで弾き語りとかしていたおれは、いつかチキンジョージに出ることを熱望しつつも、それはもっとずっと先の事で、現実感なんて全然伴ってない、理想というより妄想だった。
それがBBBBを作って何年もしない間にチキンジョージでワンマンライブをやり、800人の超満員。
メジャーデビューもしてないアマチュアバンドに200万もギャラを払うことになって驚いたのは、フーサンの大の飲み仲間であるチキンジョージの社長、児島進である。
90年代のこの二人のコンビの勢いは凄いもので、はちゃめちゃな狂乱を毎晩のようにリピートしていた。
おれもよく遊びに連れて行ってもらったが、大概は完全にベロベロになるまでいく。
サラっときれいにお疲れさん!なんて夜はなかった。
素っ裸でどんちゃん騒ぎのあげく、酩酊して半開きになったひねくれた目で『けっ!」と周囲に毒舌をぶちまけ、ふざけてからんだ女子大生に一本背負いされて北野坂を転がっていった姿を思い出す、、、それが日常だった。
大体は神戸や大阪のシャレた店でシャンパンやワインでフレンチに薀蓄をたれながら夜は始まる。
フーサンはまたこういう薀蓄が豊富で、よく披露してくれた。
薀蓄を語るときはさも得意げで、その調子にのった様子がどこかかわいらしく愛嬌があった。
この「すぐ調子にのる」ところがフーサンの諸刃の剣で、酒によって増長されたその剣は仲間も作るが敵も作った。
フーサンの口癖は
『働けバンドマン!』と『安心すな、心配すな』で、
どちらも上から言ってるニュアンスなのがフーサンらしいところ。
フーサンのこのバカ殿的なスタンスがおれはキャラクターとあっていて好きだったけど、それが嫌いな人もいただろう。
バンドが育ち、自尊心も育っていくと、こういう言い方が妙にひっかかってくるのだ。
でもそれはフーサンのひねくれた愛情表現で、言葉の額面通りじゃないってわかるのはずっと後だったりして、ちょっと接するだけでは伝わらないものだ。
当たり障りないことを言っていればいいのに、つい余計なことを言ってしまうようなところがフーサンなのだ。
1994年頃、キャンディー・ダルファーというSAX奏者が来日してチキンジョージでライブがあってフーサンと観に行った。
キャンディーはヒット作の「Sax A Go Go」を携えての来日ツアーで、美人でサックスがうまく、ファンキーでまさに「時の人」だった。
ライブが猛烈な勢いで始まり、鉄壁のリズム隊のGrooveといい、ショーアップされたステージングといい、さすが「時の人」なライブの中、、、
曲間のふとした沈黙の隙間にフーサンは
「ピッチ悪いな〜〜〜」
「これやったブラックボトムのほうがうまいわ〜〜」などと毒舌を放つのであった。
憂歌団のライブじゃないねんからヤジったらあかんやろ〜、しかもゲストで入っといて周りのお客さんをドン引きさせるその行為。。
ヤバい酔い方をしてるひねくれ型フーサンになっちゃってるのだ。
これも後から思い出せば笑えるけど、こういう行為に不快感を抱く人がほとんどだろう。
大人のすることじゃない。
でもあの満員のお客さんが、フっと静かになった一瞬を見計らって躊躇なく毒舌を放つ間合いは良かったなぁ。
あれこそ苦笑いだった。(笑)
それからニューオリンズも何度か一緒に行ってレコーディングしたり、いろんなことを一緒やった。
思い出のほとんどがバカ騒ぎの顛末だけど。
モダンビートが倒産してBBBBは事務所を移り、またその事務所も離れ、必死にサバイヴしてるうちに疎遠になってしまっていたが、たまに会っては、また何か一緒にやりたいねと話していた。
前のスネアドラムのオージが抜けて、セイヤが加入する時に、たしかフーサンの息子の名前はセイヤだったと不思議な縁を感じたこともあった。
いつかモダンビートフェスティバル的なことで、みんなで集まってイベントをやりたいなと思っていた。
でも、フーサンが亡くなったという。
寂しいとも苦しいとも違う、喉の奥からなにか虚無的なものがこみ上げてきて胸が詰まる。
お祭り騒ぎが大好きだったフーサンを盛大にセカンドラインで送ってあげたい。
ありがとう、フーサン。
R.I.P 藤岡ひろゆき